葬儀の話
私は母が脳梗塞になった2001年から死については調べていました。
地元の葬儀会社のHP調べたり、葬儀の費用がどのようなもの、お坊さんの話など。
イオンの会員になっておいたりと、その時が来てもいつでも対応できるよう葬儀社の選定はしており、お墓の話や宗派の話などを父に言うとキレられてしまうという状態でしたのでお墓の話は先送りして、宗派は親せきを通して調べておきました。
でも結局出しゃばりな身内にボロボロにされてしまうんですよね・・・
葬儀の時はトラブルはつきものの様で、この話をすると葬儀経験者からは同調されます。
事前の話し合いも結局、その時が来たらなんの役に立ちません。
〇葬儀のプロセス
①亡くなった(理想は亡くなる前に数社から見積もりを取っておく)
②看護師による医療機器の撤去及び着替え等があるので着せたい服を渡す
③葬儀社へお迎えの依頼をする(事前の契約は不要)
葬儀社へは病院名と病室番号・氏名(フルネーム)・年齢・感染症の有無を聞かれます。
④病院へ対応する葬儀社名といつ来るかを伝える
⑤葬儀会社の安置所へ搬送してもらう
病院から死亡診断書が出来たら葬儀会社に来て正式な契約をしましょうと伝えられる。
⑥病室の荷物を全部持って退去
⑦病院の清算及び死亡診断書の受け取り
⑧葬儀社で契約(祭壇や花等の話や火葬場の手配、お坊さんの手配の話等)
あとは葬儀社との契約次第でお通夜や告別式をやったり、直葬や火葬葬など
私は火葬葬として食事やお坊さん等はこちらで手配して経費をとにかく押さえました。
区民葬・市民葬というシステムもあるが結局車やら安置が含まれておらず高くなることが多いみたいです。
やはり事前の見積もりが重要になってきます。
〇法的手続き
人はなくなると人ではなくなります。
死亡診断書は葬儀社から役所へ提出されるので、健康保険や年金の手続き、障害手帳や自動車の税金免除解除の申請があります。
あとは所属会社への申請や契約物の解除や変更、クレジットカード解約などもあります。
生命保険の手続きも忘れてはいけません。
人は亡くなるまでも忙しいですが亡くなった後も忙しいです。
心して準備しておくに限ります。
地元の葬儀会社のHP調べたり、葬儀の費用がどのようなもの、お坊さんの話など。
イオンの会員になっておいたりと、その時が来てもいつでも対応できるよう葬儀社の選定はしており、お墓の話や宗派の話などを父に言うとキレられてしまうという状態でしたのでお墓の話は先送りして、宗派は親せきを通して調べておきました。
でも結局出しゃばりな身内にボロボロにされてしまうんですよね・・・
葬儀の時はトラブルはつきものの様で、この話をすると葬儀経験者からは同調されます。
事前の話し合いも結局、その時が来たらなんの役に立ちません。
〇葬儀のプロセス
①亡くなった(理想は亡くなる前に数社から見積もりを取っておく)
②看護師による医療機器の撤去及び着替え等があるので着せたい服を渡す
③葬儀社へお迎えの依頼をする(事前の契約は不要)
葬儀社へは病院名と病室番号・氏名(フルネーム)・年齢・感染症の有無を聞かれます。
④病院へ対応する葬儀社名といつ来るかを伝える
⑤葬儀会社の安置所へ搬送してもらう
病院から死亡診断書が出来たら葬儀会社に来て正式な契約をしましょうと伝えられる。
⑥病室の荷物を全部持って退去
⑦病院の清算及び死亡診断書の受け取り
⑧葬儀社で契約(祭壇や花等の話や火葬場の手配、お坊さんの手配の話等)
あとは葬儀社との契約次第でお通夜や告別式をやったり、直葬や火葬葬など
私は火葬葬として食事やお坊さん等はこちらで手配して経費をとにかく押さえました。
区民葬・市民葬というシステムもあるが結局車やら安置が含まれておらず高くなることが多いみたいです。
やはり事前の見積もりが重要になってきます。
〇法的手続き
人はなくなると人ではなくなります。
死亡診断書は葬儀社から役所へ提出されるので、健康保険や年金の手続き、障害手帳や自動車の税金免除解除の申請があります。
あとは所属会社への申請や契約物の解除や変更、クレジットカード解約などもあります。
生命保険の手続きも忘れてはいけません。
人は亡くなるまでも忙しいですが亡くなった後も忙しいです。
心して準備しておくに限ります。
人の死への心構え
ここ10年で会社の先輩や後輩の死に3度直面してきました。
非常に良くしてくれて仲良かった先輩。
突然の別れではなく病気発覚時で肺がんの末期で余命付き。
このまま死んだら先輩は悔いしか残らないだろうと思ったのと私も現実を受け入れたくなかったため、癌封じの寺院巡りや旅行などいろいろな所へ連れ出し、余命の倍長生きしてくれた。
葬儀には参加しました。私自身理性は保てるだろうと思ったものの、棺に納められた時・火葬場の窯の戸が閉じられた瞬間は泣き崩れた。
ただ収骨の時は感情がなく居られた。形が変わり過ぎたのと窯から出てくる瞬間を見ていないからだと思う。
2人目も非常に良くしてくれた先輩。
先輩の時はコロナ真只中で、入院中の見舞い所か、なんで休んでいるのかさえも情報操作されていた。
事実を知った時は火葬も終わっていた。
この先輩も末期がんでした。
3人目は私の班員で非常に仲良くしてくれていた後輩。
コロナの落ち着いてきた頃、「明日スキー行ってくるんですよ」と言われたが、私自身忙しく早く家に帰らないといけない時だったが、後輩の顔色が良く感じなかったので「スキー良いね。でもさ、なんか顔色良くないよ?明日の早朝出るんでしょ?今日家帰ったらすぐ寝るんだよ?」と言ったのを覚えてます。
翌日昼前に後輩からこれから昼食ですとLineが着て以降連絡なし。仕事中の先輩から〇〇くんどこにいる?と聞かれスキー行ってますよ?と答えると、やはり・・・と
どうしました?と確認すると会社に親御さんと思われる人から電話があって、会話を聞き耳してたが、スキー場で搬送された。これから行くという話。だったと
こちらから電話するも誰も出ず。
夜には亡くなったと会社へ連絡。
突然の別れでした。後輩は急性の心筋梗塞でリフトに乗って友達と会話中に意識を失ったらしいです。
ほぼほぼ別れのタイミングは突然きます。
私の母も私が入院の事実を知ってから1週間の話です。
事前の準備が必要です。
非常に良くしてくれて仲良かった先輩。
突然の別れではなく病気発覚時で肺がんの末期で余命付き。
このまま死んだら先輩は悔いしか残らないだろうと思ったのと私も現実を受け入れたくなかったため、癌封じの寺院巡りや旅行などいろいろな所へ連れ出し、余命の倍長生きしてくれた。
葬儀には参加しました。私自身理性は保てるだろうと思ったものの、棺に納められた時・火葬場の窯の戸が閉じられた瞬間は泣き崩れた。
ただ収骨の時は感情がなく居られた。形が変わり過ぎたのと窯から出てくる瞬間を見ていないからだと思う。
2人目も非常に良くしてくれた先輩。
先輩の時はコロナ真只中で、入院中の見舞い所か、なんで休んでいるのかさえも情報操作されていた。
事実を知った時は火葬も終わっていた。
この先輩も末期がんでした。
3人目は私の班員で非常に仲良くしてくれていた後輩。
コロナの落ち着いてきた頃、「明日スキー行ってくるんですよ」と言われたが、私自身忙しく早く家に帰らないといけない時だったが、後輩の顔色が良く感じなかったので「スキー良いね。でもさ、なんか顔色良くないよ?明日の早朝出るんでしょ?今日家帰ったらすぐ寝るんだよ?」と言ったのを覚えてます。
翌日昼前に後輩からこれから昼食ですとLineが着て以降連絡なし。仕事中の先輩から〇〇くんどこにいる?と聞かれスキー行ってますよ?と答えると、やはり・・・と
どうしました?と確認すると会社に親御さんと思われる人から電話があって、会話を聞き耳してたが、スキー場で搬送された。これから行くという話。だったと
こちらから電話するも誰も出ず。
夜には亡くなったと会社へ連絡。
突然の別れでした。後輩は急性の心筋梗塞でリフトに乗って友達と会話中に意識を失ったらしいです。
ほぼほぼ別れのタイミングは突然きます。
私の母も私が入院の事実を知ってから1週間の話です。
事前の準備が必要です。
亡くなる時は病院が良い
自宅で自然死の場合、警察に連絡をして状況確認。場合によっては検死もあるとか・・・
病室で心電図が横棒の状態で医師が来るまでの間放置(待ち)があります。
今回は1時間待ちました。
正式な死の確認はされていないですが、暑い日だったので腐敗防止のためエアコンを強にされた。
医師により名前の呼びかけ、肩を叩く、脈を診る、心音を診る、瞳孔を診る。
これにより生きている人にはあるものがないので死と判断される。その時に死亡確認の時間を宣言されて医療行為は終了となる。
ここからは葬儀社の話になる。
今回事前準備がなかったため、地域の有名な会社へ連絡となった。(本当は私が事前に葬儀会社の会員になっていたのだが、身内が騒ぐのを避けるために利用できなかった)
葬儀社のフリーダイヤルに電話を掛けると搬送する人の名前年齢と病院名と号室の申告を求められ、その後こちらの連絡先を知らせるだけで30分ほどで搬送車が迎えに来る。
葬儀社が来るまでの間に看護師さんが点滴やらの医療機器を外し、体をきれいにしてくれる。
服装もこちらの指定の物に着替えさせてくれるが、ない場合は病院のレンタル寝巻のままでもよいとの事。
葬儀社の搬送車に乗せると葬儀社の人と契約の話、今回は昼過ぎにその辺の話はしに行くとして解散。
病院からは昼過ぎに死亡診断書が作成されるので、その時に清算をしてくださいと申告されいったん帰宅。
病院に死亡診断書の作成と清算計算が終わっているか確認してから清算に行く。
病院から受け取った死亡診断書を持参して葬儀会社へ。
葬儀社へ伺うと母に会えるというので安置所へ行くと冷凍庫が数十台並んでおり、戸一つ一つに名前が書いてある。
母の名前の戸を開けてもらうと冷凍庫の中で寝ている。
契約時身内同士でもめ事発生。見栄を張りたいもの、費用を気にするもの。
どーでもいい。
我が家はバ〇一人が騒いでいただけなので、勝手にしろとキレて出て行ったので父と契約をした。
病室で心電図が横棒の状態で医師が来るまでの間放置(待ち)があります。
今回は1時間待ちました。
正式な死の確認はされていないですが、暑い日だったので腐敗防止のためエアコンを強にされた。
医師により名前の呼びかけ、肩を叩く、脈を診る、心音を診る、瞳孔を診る。
これにより生きている人にはあるものがないので死と判断される。その時に死亡確認の時間を宣言されて医療行為は終了となる。
ここからは葬儀社の話になる。
今回事前準備がなかったため、地域の有名な会社へ連絡となった。(本当は私が事前に葬儀会社の会員になっていたのだが、身内が騒ぐのを避けるために利用できなかった)
葬儀社のフリーダイヤルに電話を掛けると搬送する人の名前年齢と病院名と号室の申告を求められ、その後こちらの連絡先を知らせるだけで30分ほどで搬送車が迎えに来る。
葬儀社が来るまでの間に看護師さんが点滴やらの医療機器を外し、体をきれいにしてくれる。
服装もこちらの指定の物に着替えさせてくれるが、ない場合は病院のレンタル寝巻のままでもよいとの事。
葬儀社の搬送車に乗せると葬儀社の人と契約の話、今回は昼過ぎにその辺の話はしに行くとして解散。
病院からは昼過ぎに死亡診断書が作成されるので、その時に清算をしてくださいと申告されいったん帰宅。
病院に死亡診断書の作成と清算計算が終わっているか確認してから清算に行く。
病院から受け取った死亡診断書を持参して葬儀会社へ。
葬儀社へ伺うと母に会えるというので安置所へ行くと冷凍庫が数十台並んでおり、戸一つ一つに名前が書いてある。
母の名前の戸を開けてもらうと冷凍庫の中で寝ている。
契約時身内同士でもめ事発生。見栄を張りたいもの、費用を気にするもの。
どーでもいい。
我が家はバ〇一人が騒いでいただけなので、勝手にしろとキレて出て行ったので父と契約をした。
突然・・・
2001年に脳梗塞になってから半身まひながらにも一生懸命リハビリや生活をしていた母。
途中、背骨の破裂骨折を起こし寝たきりになってしまった。
それでも一生懸命生きてくれた。
ちょっと体調を崩し8月5日から入院療養していました。
2024年8月31日に父から電話があり、実は入院している。今朝病院から緊急呼び出しを受けたと伝えられ、仕事を休んで急遽子供を連れて会いに行った。
数日中にと判断されたらしく、個室へ移動になっていた。
だが母をみると確かに弱まってはいるものの、会話は出来ているし、表情も普通。
すぐどうのと言う感じは見れなかったが、念のため継続仕事休んで会いに行くこととした。
良くなることはなかったが悪化の感じもなく、先生は安定しているので団体部屋へ戻すと判断。
我々も不安な柄にも少しだけ安心はしていた。
中1日経った早朝にまた呼び出し。
個室へ移動。
その段階で今までできた会話は出来ず。
問いかけに対しての反応も無し。手を握れば握り返してくる。
心拍数は普通の1.5倍、血圧は1/2。
今日明日だなと判断し、その日一日特別面会だったので21時まで呼吸状態と血圧をずーっと注視していた。
入院中発動していなかった無呼吸が起きていたが、体をゆすると早期に呼吸が戻っていた。
呼吸停止で苦しみながら亡くなる事だけは避けようと思っていた。
痰取りも定期的+呼吸状態見てやってもらっていた。
父には嫌かもしてないが、今日~明日朝だと思う。
付き添ってやってくれと看護師さんと話しをしていただ断固拒否(汗
俺も疲れている。電話くれれば5分で行けると言いつ付けていた。
私は翌朝から来ると言い、帰宅。
父は心電図の画面を写真を添付して落ち着いてるから帰っても大丈夫だよなと聞いてくるので、安定して低下しているよ?そろそろだけど帰るのか?と伝えたが3度ほど同様のメールを送ってきた後に帰ったらしい。
9/6 2時に父から電話がかかり聞くと病院から呼び出しが来た。今から行くという。
私も家を出る準備をして家を出た。
うちから病院まで30km離れているのだが30分足らずで到着。
その時すでに心電図には波は表示されていなかった。
私も父も最後の瞬間には立ち会えなかったが、表情を見る限り苦しんだうえで亡くなった訳ではなく、ゆっくりと心停止したのだろうと感じる。
死後直後なので血色もあり、体も暖かい。
死んだと実感は全くなかった。
病院と言うところは、生きている間は親身に色々やってくれるのですが、亡くなり次第すぐすぐ出て行ってくださいとなるのでそこからが怒涛の忙しさが来ます。
途中、背骨の破裂骨折を起こし寝たきりになってしまった。
それでも一生懸命生きてくれた。
ちょっと体調を崩し8月5日から入院療養していました。
2024年8月31日に父から電話があり、実は入院している。今朝病院から緊急呼び出しを受けたと伝えられ、仕事を休んで急遽子供を連れて会いに行った。
数日中にと判断されたらしく、個室へ移動になっていた。
だが母をみると確かに弱まってはいるものの、会話は出来ているし、表情も普通。
すぐどうのと言う感じは見れなかったが、念のため継続仕事休んで会いに行くこととした。
良くなることはなかったが悪化の感じもなく、先生は安定しているので団体部屋へ戻すと判断。
我々も不安な柄にも少しだけ安心はしていた。
中1日経った早朝にまた呼び出し。
個室へ移動。
その段階で今までできた会話は出来ず。
問いかけに対しての反応も無し。手を握れば握り返してくる。
心拍数は普通の1.5倍、血圧は1/2。
今日明日だなと判断し、その日一日特別面会だったので21時まで呼吸状態と血圧をずーっと注視していた。
入院中発動していなかった無呼吸が起きていたが、体をゆすると早期に呼吸が戻っていた。
呼吸停止で苦しみながら亡くなる事だけは避けようと思っていた。
痰取りも定期的+呼吸状態見てやってもらっていた。
父には嫌かもしてないが、今日~明日朝だと思う。
付き添ってやってくれと看護師さんと話しをしていただ断固拒否(汗
俺も疲れている。電話くれれば5分で行けると言いつ付けていた。
私は翌朝から来ると言い、帰宅。
父は心電図の画面を写真を添付して落ち着いてるから帰っても大丈夫だよなと聞いてくるので、安定して低下しているよ?そろそろだけど帰るのか?と伝えたが3度ほど同様のメールを送ってきた後に帰ったらしい。
9/6 2時に父から電話がかかり聞くと病院から呼び出しが来た。今から行くという。
私も家を出る準備をして家を出た。
うちから病院まで30km離れているのだが30分足らずで到着。
その時すでに心電図には波は表示されていなかった。
私も父も最後の瞬間には立ち会えなかったが、表情を見る限り苦しんだうえで亡くなった訳ではなく、ゆっくりと心停止したのだろうと感じる。
死後直後なので血色もあり、体も暖かい。
死んだと実感は全くなかった。
病院と言うところは、生きている間は親身に色々やってくれるのですが、亡くなり次第すぐすぐ出て行ってくださいとなるのでそこからが怒涛の忙しさが来ます。