突然・・・
2001年に脳梗塞になってから半身まひながらにも一生懸命リハビリや生活をしていた母。
途中、背骨の破裂骨折を起こし寝たきりになってしまった。
それでも一生懸命生きてくれた。
ちょっと体調を崩し8月5日から入院療養していました。

2024年8月31日に父から電話があり、実は入院している。今朝病院から緊急呼び出しを受けたと伝えられ、仕事を休んで急遽子供を連れて会いに行った。

数日中にと判断されたらしく、個室へ移動になっていた。

だが母をみると確かに弱まってはいるものの、会話は出来ているし、表情も普通。
すぐどうのと言う感じは見れなかったが、念のため継続仕事休んで会いに行くこととした。

良くなることはなかったが悪化の感じもなく、先生は安定しているので団体部屋へ戻すと判断。

我々も不安な柄にも少しだけ安心はしていた。

中1日経った早朝にまた呼び出し。

個室へ移動。

その段階で今までできた会話は出来ず。
問いかけに対しての反応も無し。手を握れば握り返してくる。
心拍数は普通の1.5倍、血圧は1/2。
今日明日だなと判断し、その日一日特別面会だったので21時まで呼吸状態と血圧をずーっと注視していた。
入院中発動していなかった無呼吸が起きていたが、体をゆすると早期に呼吸が戻っていた。
呼吸停止で苦しみながら亡くなる事だけは避けようと思っていた。
痰取りも定期的+呼吸状態見てやってもらっていた。

父には嫌かもしてないが、今日~明日朝だと思う。
付き添ってやってくれと看護師さんと話しをしていただ断固拒否(汗
俺も疲れている。電話くれれば5分で行けると言いつ付けていた。

私は翌朝から来ると言い、帰宅。
父は心電図の画面を写真を添付して落ち着いてるから帰っても大丈夫だよなと聞いてくるので、安定して低下しているよ?そろそろだけど帰るのか?と伝えたが3度ほど同様のメールを送ってきた後に帰ったらしい。

9/6 2時に父から電話がかかり聞くと病院から呼び出しが来た。今から行くという。

私も家を出る準備をして家を出た。

うちから病院まで30km離れているのだが30分足らずで到着。

その時すでに心電図には波は表示されていなかった。

私も父も最後の瞬間には立ち会えなかったが、表情を見る限り苦しんだうえで亡くなった訳ではなく、ゆっくりと心停止したのだろうと感じる。

死後直後なので血色もあり、体も暖かい。

死んだと実感は全くなかった。


病院と言うところは、生きている間は親身に色々やってくれるのですが、亡くなり次第すぐすぐ出て行ってくださいとなるのでそこからが怒涛の忙しさが来ます。


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