人の死への心構え
ここ10年で会社の先輩や後輩の死に3度直面してきました。

非常に良くしてくれて仲良かった先輩。
突然の別れではなく病気発覚時で肺がんの末期で余命付き。
このまま死んだら先輩は悔いしか残らないだろうと思ったのと私も現実を受け入れたくなかったため、癌封じの寺院巡りや旅行などいろいろな所へ連れ出し、余命の倍長生きしてくれた。
葬儀には参加しました。私自身理性は保てるだろうと思ったものの、棺に納められた時・火葬場の窯の戸が閉じられた瞬間は泣き崩れた。
ただ収骨の時は感情がなく居られた。形が変わり過ぎたのと窯から出てくる瞬間を見ていないからだと思う。

2人目も非常に良くしてくれた先輩。
先輩の時はコロナ真只中で、入院中の見舞い所か、なんで休んでいるのかさえも情報操作されていた。
事実を知った時は火葬も終わっていた。
この先輩も末期がんでした。

3人目は私の班員で非常に仲良くしてくれていた後輩。
コロナの落ち着いてきた頃、「明日スキー行ってくるんですよ」と言われたが、私自身忙しく早く家に帰らないといけない時だったが、後輩の顔色が良く感じなかったので「スキー良いね。でもさ、なんか顔色良くないよ?明日の早朝出るんでしょ?今日家帰ったらすぐ寝るんだよ?」と言ったのを覚えてます。
翌日昼前に後輩からこれから昼食ですとLineが着て以降連絡なし。仕事中の先輩から〇〇くんどこにいる?と聞かれスキー行ってますよ?と答えると、やはり・・・と
どうしました?と確認すると会社に親御さんと思われる人から電話があって、会話を聞き耳してたが、スキー場で搬送された。これから行くという話。だったと
こちらから電話するも誰も出ず。
夜には亡くなったと会社へ連絡。
突然の別れでした。後輩は急性の心筋梗塞でリフトに乗って友達と会話中に意識を失ったらしいです。


ほぼほぼ別れのタイミングは突然きます。

私の母も私が入院の事実を知ってから1週間の話です。


事前の準備が必要です。


トラックバックURL
トラックバック一覧
コメント一覧
コメント投稿

名前

URL

メッセージ

- CafeLog -